日本人と中国人

思い込みがないか,自分の文化を疑ったことはありますか?

おばさ~ん!

 うだるような暑さが続くある夏の日のことだった(2001年)。その暑さを吹っ飛ばすようなことがあった。私の友人で韓国の大学生が神妙な顔をしてやって来て、何を言うかと思えば「今までずっと悩んできたんですけど・・・これからは、

○○さんじゃなくて、○○おばさんと呼んでいいですか?

という相談だった。
 えっ?○○おばさん?おばさん?
 まわりに人がたくさんいたが、思わず叫んでしまった。だって私は39歳。いくら年齢が離れていても(15歳差)大学生におばさん呼ばわりされる年齢ではない・・・・・はずだった、日本では。


 聞いてみると韓国では、年上の人をとても敬い、必ず敬語を使う。呼び方にも気を付ける。「~さん」は同等で、年上の人に対しては、失礼だそうだ。15歳も離れていれば、と尊敬と親しみを込めて「~おばさん」呼らしい。

さすが、儒教の国!と感心している場合ではない。失礼で結構!「○○さん」と呼んでほしかったのだが、相手も~さんと呼ぶと感覚的に私を見下すことになり、耐えられないという。しかしいくら韓国の文化でも「おばさん」はつらいので、「○○ねーさん」ということで合意を得た。文化摩擦の典型である。いやはや、文化の違いにはなれてきたつもりだが、またまた驚かされた。しかしこの刺激がたまらない。


 ところで、中国にも韓国のような考え方がある。中国では平等意識が高いが、同時に年配者を尊敬する。初めて中国に行ったとき、中国のお年寄りは元気なばかりか、すごく威張っていて、日本のお年よりと全然違うという印象を受けた。

日本では、年寄りというとなにかじゃまもの扱いされており、「お年よりを大切にする。」と言うのもなんだか子供扱いという感じがして私は常々疑問を抱いていた。だから、中国のお年よりが威張っていると感じるほど自信にあふれ、若い人たちも彼らを尊敬し何かあれば相談する様には、感動すら覚えた。欧米や日本では「年取る=古くなる」という意味だが、アジアのこのような国では、「年取る=経験豊かである」という意味なのだ。だから、私ぐらいの女性で、おねーさん(姐姐)より、おばさん(姨姨)と呼ばれるのを好む人は少なくない。いわんや男性をや、である。日本では、もう絶対に分からない感覚だ。


 夫は私より一歳年下だが、新婚のころは年齢の割に老けて見えた。それで私も回りの友人も、からかうつもりで「おじさーん」と呼んだものだ。考えて見ると、からかうつもりが誉めることになっていたとは・・・・。そういえばやけにニヤニヤしていた。


 今ごろになって、なんだか、ちょっと悔しい。

 うちのムコ殿

中国人の夫について語るなら、忘れてはならないのが、私の実家の両親である。

もともと私の父は、結婚大反対だった。何しろ結婚したのは出会って3ヶ月。まして外国人。娘を持つ父親なら、だれでも理解できる心境だろう。私も、ほとんど同意はあきらめていた。ところが、結婚式の直前、急に反対を翻して認めてくれたのだ。ちゃんと「おめでとう」と祝福してくれた。父は、寡黙な人なのでこのひと言の重みは心のそこから嬉しかった。めでたし、めでたし・・・・


 と行けばいいのだが、そうはいかないのが人生の面白いところである。夫と実家の関係・・・・これがまたハプニングの連続だった。
 普通日本では、義理の家族に会うのは大変気を遣うものだ。私の実の妹も婚約するとき、義理の両親と初めて会うときは大変気を遣って、げっそりと痩せてしまったほどだ。今でも家事とか子育てとかで何かとそりが合わずに苦労している。ところが夫は、そうではなかった。例えば彼は夏に実家で平気でパンツ1丁になって、くつろいでしまうのだ。もうちょっと緊張してよ!と思うが、中国では、義理の親でも気を遣わずざっくばらんでいられるようだ。


 あるとき(1990年代)ちょっとしたあいさつが問題になった、実家から、お菓子や、果物など食べ物をもらうのだが、実家の親から、よく「うちのムコは、感謝の気持ちがない。」と文句を言われたのだ。
 あれ?ちゃんとお礼はしていたはずなのに・・・・?ときがたつにつれ、だんだん分かってきた。彼は、実際に何かもらったときは普通に「ありがとう。」と言う。しかし郵送で送られたものに、その場で電話をしたり、次に会ったとき「イヤー。この間はご馳走様でした。」のひと言がでないのだ。日本人はココまで言われないとお礼だと感じない。それで私は、彼に「日本人の御礼は3回よ!貰ったとき1回、別れ際1回、それから次に会うとき1回。」と教えるようにした。


 そしてご飯。私の実家は日本では普通だが、中国人の平均と比べると食べる量が非常に少なかった。私たちが遊びに行くと、母がごちそうしてくれるのだが、何しろ量が少ない。そんな時母がいつも客に言うように「遠慮なく召し上がれ。」という。するとあれよあれよという間に、彼はペロっとみんなの分まで食べてしまうではないか。

  当然、実家の家族は目の玉が飛び出るほどビックリするが、日本人の常でその場では何も言わない。後で私に文句を言って来るのだ。「何だ、お前んとこのムコは!」それで、私もこっそり彼に「何で、みんなの分まで食べちゃうの。少しは気を遣ってよ!」と言うと「だって、お母さんが遠慮なく食べなさいって言ったでしょ。」

・・・・それはタテマエなの!


 国際結婚は体力がいるのだ。

 

 

パンの耳でヤッター!

昨年(2001年)のことだが、私にとって画期的なことがあった。くじで2等賞が当たったのだ。それが一体何なのだと思われるかもしれないが、私は生来くじ運が非常に悪いので、これはビッグニュースと言ってよかった。


 中国人の夫と結婚したばかりのころ、大陸気質で大ざっぱな夫にいろいろと驚く事が多かった。服装も気にしない、あいさつも気にしない、ルールも気にしない、私の家事も気にしない・・・(コレは助かった)。私としてはもう少し細やかに気を遣ってほしかった。
 逆に夫からいわせれば、私は細かいところに気を遣いすぎるらしい。「そんな細かいこと気にすんな」とはよく言われた言葉である。ただし、私はこれでも日本人の中では大ざっぱなほうなので、中国人の大ざっぱと日本人の細かさのギャップというのは相当のものがあるのではないか思う。


 ところが夫が何でも大ざっぱかというと決してそうでもない。彼を含めて中国人はお金には細かいのだ。人におごるときなどはパーっと使うが、普段はすごい節約家である。日本人も世界では貯金する民族として有名だが、中国人はその比ではない。


 結婚当初(1987年)のことだった。彼が買い物についてきてくれるという。日本の男性は家事に参加しない人がまだまだ多かったので「やっぱり、中国人男性は違う!」と、るんるん気分で出かけた。

ところが、私が買う物にいちいち文句をつける。「それは高い。こっちにしよう。それより向こうの方が安い」と。要するに、節約買い物術を教えたかっただけなのだ。その節約ぶりといったら、細かい、細かい・・・。1円安く買うためにお店を変えたりして、1円のために努力を惜しまない。もちろんこれは、中国の経済事情が関係してくる。日本の物価は中国に比べ高すぎるのだ。中国国内ならば食べ物は安く豊富にあるので、気前良くどっさり買っても大丈夫だが、日本という事情の中で彼らは最大限に節約するのだ。中国人は、世界四大商人の一人というのをこんなとき、実感する。

 というわけで、我が家ではいつもパンを買うときは、なるべく「耳」を買うようにしている。よく30~50円で売っている耳だけをまとめたものだ。(いいパンの耳なので結構おいしい。)ある日、その「パンの耳」を買いに行った。他に何も買わずにそれだけを買うというのは、実は結構根性がいるものだ。恥ずかしくてできない人が多いと思う。そこは中国人の妻暦15年のキャリアがモノをいう。問題なく「パンの耳」だけをゲットした。


 このパン屋でくじのサービスをしていたのだ。親切な店員はパン耳の客にも「くじをどうぞ」と薦めてくれた。何気なく引くと、なんと二等賞が大当たり!賞品は、特製食パン250円也。何だ、そんなものと思わないでほしい。250円の食パンなんて我が家では、買ったためしがない高級品だ。万歳!
 ちなみに店員の「顔」には明らかにこう書いてあった。


 「パンの耳だけで賞品もってくな・・・」ふふ。

 

 

 

けんかOK!

 前回、中国人の話し方がけんか腰に見えるということを書いたが、実は本当のけんかもとても多い

中国の街を歩いている(1990年代)と良く「けんか」の場面に出くわすので野次馬さんには面白いかもしれない。たいていは、口げんかであるが、日本と違うところは、野次馬たちも二手に分かれてけんかに参加し、ちょっとしたディベートの場に早変りするところだ。現代の日本人には考えられないオープンさでなんだか楽しい。


 中国人の夫には、10歳ほどしか年の変わらない甥っ子がいる。彼は8年ほど前に日本に来て留学し、今は日本の企業に勤めている。甥っ子は普段、叔父である夫の言うことを聞いて従順であるが、時には、意見がぶつかることもある、あるとき、何かのきっかけで言い争いになり、とうとうけんかになってしまった。私は戦々恐々としてことの成り行きを見守っていたのだが、夫は電話口で「わかった。」と言って電話を切ってしまった。絶交したというのだ。


エーっ日本にいるたった一人の親戚なのに・・・・。私の心は悲しくなり、暗く沈んでいった。「しょうがない。甥っ子も大人だし、日本でもたくましく生きていけるでしょう。」と自分に言い聞かせて無理やり納得した。


しばらく経ったあるとき、夫の仕事のことで中国人の助けが必要になった。私が、誰かいい人いないかなーと考え始めると、夫は何の疑いも無く言った。「彼に頼もう。」甥っ子に頼むというのだ。「そんなこと言ったって絶交しているんじゃないの?」と私が突っ込むと「別に気にしないよ」という。「あなたが気にしなくても相手は赦さないでしょ。絶交なんだから。」


ところが、夫が甥っ子に電話すると甥っ子もまるで何も無かったように話し始めるではないか。いったい、あのけんかは何だったの?絶交はどうしちゃったのよ?
結局私だけが、なんだかんだと気をもんで疲れただけだったという結末となった。それからしばらくして、夫がまた「絶交だ」という。性懲りもなく私はまたまた心配しまくった。今度こそ本当にお別れだと・・・・・・ところがこのときもすぐに仲直りした。何のことはない。甥っ子とは3回も4回も絶交しているのだ。これじゃ絶交とは言えない。でも気にしていないのは夫のほうだけで、甥っ子はめちゃくちゃ恨みに思っているのではないか?と思って尋ねると甥っ子の方も本当に気にしていないという。

 
さすがの私も悟った。要するに中国人はすぐにけんかをするが、けろっとしていてまたすぐ仲直りするのだ。日本人の私にはどうしても理解できない感覚である。だって日本人だったら、けんかなんかしたら、その相手とは一生付き合わないということになりかねない。だから、けんかしないように細心の注意と最大の忍耐を強いられるのだ。
中国人はけんかしやすい。裏を返せば、けんかしてもすぐ忘れてくれるということだ。これは本当に爽快だ。どちらかといえば執念深い私にはうらやましい気もする。でも、まあいいか。


この執念深さのおかげでコラムが書けるわけだから・・・。

 

中国人は怖い?

某TV局で話題の「ここがヘンだよ日本人」(1998年~2002年)。

日本人の友達と一緒に見ていると、中国人が他の外国人とあるテーマについて討論していた。彼女は何気なく「何であんなにけんか腰にならなきゃいけないの?」と非難めいたことを言った。中国人は怖いそうだ。私はすかさず「あれで普通なんだよ。」と教えてあげた。


しかし、正直言ってはじめは私も怖かった。初めて夫の実家に行ったとき、私は中国語が全然わからなかった。家族親戚はよく集まってご飯を食べ、団欒のときを過ごす。彼らはよくしゃべる。話題が途切れることがまず無い。しゃべってしゃべって、またしゃべる。あるときお義姉さんとお義父さんの話が白熱してきた。お義姉さんの声が大きくなり、手を振りかざして、つばを飛ばしながら怒鳴りだしたのだ。相手のお義父さんも負けじと声を荒げ、お義姉さんを指差し、顔つきも険しくなっきた・・・・・
―けんかだ!―
とっさに隣にいる夫にたずねる。「何けんかしてるの?」ところが夫の答えは「別に、けんかじゃないよ」とそっけないものだった。半信半疑でいると「はははは・・・」なんて笑いが湧き上がってきて「ほんとに、けんかじゃないんだ・・・」とほっとする。


こんなこともあった。夫と出かけて家に帰ってくるとお義母さんが、突然おっかない顔して私になんだかんだと言ってきた。うわー!私何かまずいことをしちゃったかな?それとも私たちの帰りが遅くて怒ってんのかな?とあれこれ考えた末、恐る恐る夫に「なんて言ってる?」と尋ねた。すると

「出歩いて疲れているようだから、少し横になって休みなさいだって。」

という答えだった。
―なんだ。そんなことか・・・・顔と言うことのギャップが激しすぎるよ・・・―
こういった態度は、私の感覚からいうとどうしてもけんかしているとか、怒っているとしか思えず、何度でもだまされてしまうのだ。


 確かに慣れないと中国人の話し方は怖いと感じるかもしれない。その喋り方がパワフルだからだ。まず声が大きい。そしてはっきりとものをいうせいか、語調が強い。また、愛想笑いをあまりしないし、不機嫌なときに出会ってしまうとその不機嫌な顔のまんまである。日本人なら、作り笑いしてでも優しく話してくれる。


 しかし(今では)私は中国人のこういうところがたまらなく好きである。大きな声は気持ちいいし、強い語調で話すと自信につながる。それにムリして笑顔を作らなくていいので非常に楽である。もちろん、日本人の気遣いや、優しく控えめなコミュニケーションは素晴らしい。外国人にも評判はいいようである。


でも私にはやっぱり中国式が ラクダ!

 

 

知らないものどうしで

いつか夫とともに飛行機に乗ったときのことである。(1990年代)

私は、飛行機の中では、本を読んだり、うとうとしたり、とにかく一人を楽しみたいタイプである。でも、隣の夫はどうも落ち着かない様子。つまらなそうであった。そのときスチュワーデスがお茶のサービスにやって来た。夫はこのときとばかりに「小姐~」と声をかけた。ナンパではない。誤解のないように。とにかく、おしゃべりしたくてうずうずしていたのだ。それで水を得た魚のようにその小姐としゃべり始めたのである。結局私も巻き込まれて3人で話し込むハメになってしまった。彼女は中国の人で、とても楽しいひと時となった。


仕事の事とか、家族の事とかいろいろ話していると、何を血迷ったか彼はいきなり「ところで小姐、1ヶ月のお給料いくらもらっているんですか?」なんて尋ねるではないか。「ちょっと、そんなこと聞いたら失礼だよ。」と彼を睨んだ。しかし、彼女はキッパリ「1ヶ月3000元です。」と答えてくれた。私は彼女が、気を悪くしたのではと心配したが、むしろ誇らしげな表情が印象に残った。中国では、こんな会話も成立するかとビックリすると同時に感心した。日本では、絶対あり得ない。


夫にとっては、電車やレストラン、道を歩いていて、知らない人に話しかけるなんてお茶の子さいさいなのである。中国ではそこから友情が芽生えたり、ビジネスが始まるということだって珍しくないのだ。アメリカやヨーロッパでも、レストランで横のテーブルに座った人が、「それ、おいしい?メニューのどこにある?」なんてひと言をきっかけに会話が始まるのは、とっても普通のことである。

ところが以前の私は、自分の友人と「あれ、おいしいのかな?」とあれこれ思案したあげく「あなた聞いてみてよ。」「いやだ。あなたこそ聞いてよ。」なんて押し付けあうことがよくあった。私たち日本人は見知らぬ人に話しかけるという習慣がないし、それを「恥ずかしい」と感じる文化を持つからだ。


 その端的な例が欧米人が、JRなどの電車で足を踏まれたとき「アウチ!」と大声を出す事だ。このとき踏まれた本人と踏んだ犯人とどちらが、周りから非難を受けるか?答えは前者。つまり踏まれて「アウチ」と叫んだ方だ。「痛い」を「痛い」といって何が悪い?と思われるかもしれない。しかし、「恥じらいの文化」が、これを非難したくなるのだ。レストランでの件も同様である。


 夫と暮らすうちに私も外国人に近くなってくる。先日電車で足を踏まれて

「痛い!」

と声を出している自分にハッと気づいた。

 そのとき、周りにいた日本人の顔と言ったら、

ハトが豆鉄砲を食らったみたい・・・・・ふふふ

 

 

そんなところで交渉しないで

中国人の夫と日本で暮らしていて、一番恥ずかしかったのは、「えっウソ」と思うところで、交渉を始めてしまうことだった。前回のレストランなどは、日常茶飯事。実はこんなこともあった。


 子供といっしょに遊園地に行ったとき(1990年代)のことだ。楽しく遊んで、少し早めに帰ろうということになったとき、ふと気が付くと乗り物券がいくらか余っていた。日本人なら普通「もったいないけどねー。」で終わりだ。ところが、夫はここで、終わらせない。よりにもよって

「これ、売ろうよ。」

なんて言い出したのだ。券売り場のあたりで、人をつかまえ、10%ぐらい安くして、売るというのだ。
えーっ!ウソでしょー!と叫んだ。この手のことには十分慣れてきたところだったが、やっぱり驚いてしまった。幼い子供達はというと、彼らには日本人の常識ってものが初めからないので
「いいね。いいね。面白い!」
なんて目を輝かせて喜んでいる。「もー、こっちの気も知らないで。これじゃ、ダフ屋じゃない。怪しすぎる!ぜったいに変な目で見られてしまう。わたし、知―らない!」と夫と子供達から離れて「私はこの人達と何の関わりもありません。」とソッポを向いていた。
 ところが・・・彼らは嬉しそうに戻ってきた。すぐに売れたし、とても喜んでもらえたと言う事だ
 今度こそは、変な目でみられると思っていたのに・・・・またまた期待(?)を裏切られる結果となった。


私は交渉しなくても生活できる文化の中にいる。だから、いざ、交渉したいと思ったときでも引いてしまうことが多かった。「ちょっと聞いてみようかな。」とか「頼んでみようかな。」とか「文句言いたいな。」とか思うときでも「ま、いいか。」で済ませてしまったのだ。ある意味で、チャンスを逃していたように思える。


ところが、夫の影響で、だんだん交渉するようになってきた。すると今度は、私が回りの日本人を見ていて歯がゆく思うことが出てきたのだ。

先日も友人と朝マックにいった。そこで、パンケーキを頼んだのだが、彼女は、食べながら「ちょっと焼き方が足りないなー。」とぶつぶつ言っている。ふと見ると確かに焼き色が白っぽくて「生」を思わせる。思わず

「取り替えてもらえば?」

と言うと「いいよ。半分,食べちゃったし・・・・」と消極的。そこで「私に任せておいて!」と引き止める彼女を無視して、取り替えてもらうように頼んだ。お店の人はマックスマイルですぐに応じてくれた。友人はというと「ウソー替えてくれるの?」と大変驚いていた。

いつかきた道・・・きっと彼女は恥ずかしかったんだろうなー。

以前の私のように。