日本人と中国人

思い込みがないか,自分の文化を疑ったことはありますか?

「すみませ―ん」にドキ!

 新婚当初、中国人の夫といっしょにいて、よく恥ずかしい思いをした。


それはレストランなどの店で起こった。普通私が考えもしないことを交渉するのだ。夫だけではなく外国人の友人はよく「えっ?」と思うことを言ったり、頼んだりする。

ウエイトレスに「あなたはココで何が1番おいしいと思うか?個人的に。」と聞くイギリス人や、「ハンバーグの焼き方はウエルダン」などと指示するオーストラリア人。食べ残った物を「これパックにしてもって帰れますか?」と聞くアメリカ人などなど。

そのたびにその場を逃げ出したくなるほど恥ずかしい思いをするのだ。しかし、彼らは、それをごく当たり前のようにこなす。


 ある日夫とファミレスに行った.そこで和食セットを頼もうということになったのだが、彼はおもむろに「今日はこれにパンが食べたいな。」などと言い出した。その瞬間いやーな予感がした。予感は的中。
「すみませ―ん!」
夫は、レストラン中に響き渡る声(これがまた恥ずかしい)で、ウエイトレスを呼ぶと
「この和食セットにパンをつけてくれますか?」と交渉を始めたのだ。「また始まった!お願いだから、そんなこと言わないで、ダメに決まってるじゃない。」と心で叫んだ。ウエイトレスは戸惑った表情だ。私は引きつるような笑顔で「すみません。変な事お願いして。この人ガイジンなんです。気にしないで下さい。」と必死に言い訳をした。そのウエイトレスは「責任者に聞いてみます。」と下がっていった。ところが・・・
「よろしいですよ。」

という返事が返ってきたではないか。「へ?う・うそでしょ?」とつぶやいてる間に、私の目の前には和食セットにほかほかパンがのって運ばれてきた。彼は当たり前のようにおいしそうにパンをほうばった。今でこそ、店によってはいろんな組み合わせが出来るメニューも出てきたが、問題はメニューに無いものを頼むという事だ。こんなことがまかり通っていいものなのか・・・・。


 しかし、驚いたことには、断わられることもあったが、この種の頼みはOKになることが多かったのだ。そのたびに世界の大発見をしたかのような気分になる。食事に限らず、「与えられたものをいただく。」という考えの強い私たちは交渉しなくても済んでしまう社会に生きている。しかし夫といると、このような交渉が多く、日本でも交渉をする機会って案外あるもんなんだなーと実感する。そして少しづつ交渉することに慣れてきて、最近ではすっかり身に付いてきた。
 しかしあの「すみませ―ん。」のひと言には今でもドキ!っとする。


今度はいったい何を言い出すのやら・・・・。

 

 

まるで悪者?

私の夫は、よくハンサムだと言われる。そうはいかないまでもたしかに中国の好青年を絵に描いたような人だった(今、見た目はすっかり日本のサラリーマン)。日本の大学を出て、技術者になったようないわゆる優秀なタイプである。ステキな人と結婚できたと心の中でニンマリしていた。


しかし・・・・(1987年)結婚してみると中国好青年が好青年に見えないのである。なぜなら、時々ルールを無視したり、守らなかったりするのだ。例えば、前回のゴミの分別ルールだ。赤信号なども、車がなければ渡ってしまう。また、「~禁止」なんて札は時には無視することもある。そんな彼を見ていると、
 「どうしてそんなことするの?」
と言いたくなってしまうのだ。中国の好青年が一気に悪者に転落してしまったようだ。

あるときこんなことがあった。車で、スーパーに買い物に行ったときのこと、駐車場が入り口と出口に分かれていた。私たちはとても急いでいたのだが、入り口をまわると大変時間がかかってしまう。すると彼は、いきなり出口から、入っていったのだ。
 「え?何するの?」
と叫んだ。おまけにそこには、店員がいて、「お客様、申し分けありません。入り口の方へお回りください。」と丁重に断わられた。もうこれだけでもドキドキである。しかしこれでは、終わらないのである。彼は、澄ました顔して

「そこをなんとか・・・。」

と交渉を始めたのだ。私はハラハラしながら、事の成り行きを見守っていたが、しばらくすると、なんと店員が「それでは、どうぞ。」と入れてくれたではないか。でも私は何か自分が、悪者の共犯者になったような気分だった。


 しかし、後から考えてみると、そうしなければ、次の用事に間に合わなかったし、店員は渋々でもOKを出したのだ。夫の判断に助けられたと言える。


 私たち日本人はルールをよく守る。これは世界に誇っていいことだと思う。日本人が相手だと待ち合わせをしても、お金を払ってもらうことでも、契約に従って仕事を進めていくときでも安心感がある。でもこれは世界の常識ではない。


中国人もルールを守る。しかしその守り方がかなり大ざっぱなのだ。罰金を伴うような法律なのか、本当に必要なのか考え、ときには守らなかったりする。よーく言えば、臨機応変ということになる。


これが私たちの目には、どうしても悪者に映ってしまう。彼らは、これを

「人がルールを作ったのであって、ルールの下に人がいるのではない。」と豪語する。

 

 イヤー。そう言うとかっこいいんだけど・・・・。

 

 

夜の訪問者

中国人の夫との新婚生活は珍事件につぐ珍事件の日々であった。

今回は「夜の訪問者事件」を紹介しよう。夜、10時過ぎとかに夫の友人が遊びに来るというとんでもない事件である。それは、いつもドアを叩く音で始まった。
「トントントン、○○さん。遊びにきたよ。」
え?何?今ごろ遊びにきた?ジョーダンでしょ?その頃私は、10時には寝る習慣だったのでもうしっかりとふとんに入って寝る体制である。夫がドアのところに応対に出てくれる。もう寝ているし、夜遅いし、当然断わってくれると100%信じていた。ところが、夫は言った。


「ああ、きたの?入ってよ」


一瞬耳を疑った・・が、なんと夫はその友人を中に入れてしまうのだ。「えーっ、ウソでしょ?」というと「だいじょうぶ。気にしないで。寝てても、いいよ。」という。そう言われても困るのでしぶしぶ付き合う。そんなことが何回かあった。ときには本当に寝ている布団の片隅に夫と友人が座って夜を徹して話し込んだりするのだ。というわけで、トントンという音がするたびドキーンとしてしまう。夜遅くというのも困るが、いきなりというのが、精神的にもこたえる。どうして夫の友人は夜いきなり来るのか?と思った。


実はこれが中国ではあたり前のことだとわかったのは2年後(1990年頃)に初めて中国に行ったときである。つまり中国の生活習慣だったのだ。彼らはよく訪問しあう。夜でも。それもいきなり、つまり「アポなし」が普通である。日本では私の小学生の娘だってアポをとるが、中国では電話が発達した今でも、アポを入れないことが多い。さらに「~時に行くから」というと「ご飯の作らなくては」と相手に余計な気を遣わせてしまうので、良くないのだそうだ。なるほど。

さらに面白いことを聞いた。夫の実家にある日いきなり「やあ、遊びに来ましたよ。」と訪れる人がいた。ところが誰も彼を知らない。「いったい誰なんだろう?」と皆首をかしげたが、とにかく客人としてもてなしたという。信じられないことだが、なんとも微笑ましい。少したって義父が、数ヶ月前旅行先で出会った人だと気づいて、皆で大笑いしたという。めでたし、めでたし・・・・。これは極端な話かもしれないが、こんな事だってありえるっていうのが、中国の面白いところ。ドラマや映画の一コマのようで感動する。


アポなし訪問-はじめはビックリして戸惑う習慣であったが、これを逆手に取れば

「中国人のところにはいきなり行ってもいい。」

とも言える。それに気づいてからは、この習慣を心から楽しんでいる。(2000年頃)

 

文化の違いっていいもんだ!
         

「だいじょうぶ」に要注意!

祝福に満ちた結婚式を終え、私たち日中夫婦の新婚生活は希望とともに始まった。

新婚生活といえば甘いラブラブなもの・・・と思うかもしれないが、私たちの場合それは大ハズレ!新婚生活はラブラブからは、程遠いものだった。生活開始のその日からよく珍事件が起きたのである。誰でも結婚すれば、違う環境で育った二人なので思いどおりにいかないのは覚悟していた。

でも夫の言動に対しては「どうして?」の連発だった。

とにかくなんて「変わった人」と結婚してしまったのかと思っていた。


珍事件の中でも新婚早々発生したのが「ゴミ捨てだいじょうぶ」事件である。
ご存知の通り日本では随分前からゴミの分別ルールが定着していた。当然私も一つ一つ分けていた。そこへ夫が来て「別にそんなの分けなくてもだいじょうぶだよ。」と言う。私は「ちゃんとやらないとダメだよ。」と抵抗したが、夫は

「そんなに気にしないで。だいじょうぶ。だいじょうぶ。」

と引かない。この「だいじょうぶ。」がクセモノである。聞いていると「そうかなー。」という気になってくる。ヤケに説得力があるのだ。可愛い妻でいたい気持ちもあって「まっいいか。」と分別しないで捨ててしまった


しかし、どこにも親切なおばさんというのは、いるものだ。その日ご近所のおばさんが、わざわざゴミを調べて我が家にやって来た。しかも私の捨てたゴミ袋を片手に持っていた。

「ま。まずい。どーしよう。知らんぷりしちゃおーか。」ところが敵もさるもの。「OOさん。このゴミOOさんのでしょ?ほら。」と言って袋からパッと何かを取り出した。見るとそれは中国語のラベルの缶カラではないか。

あっりゃ~。
「すみませーん。」と平身低頭謝ったが、顔から火が出そうに恥ずかしかった。ああ、あの「だいじょうぶ」を信じなければこんなことにはならなかったのに・・・。いやそれより彼と結婚しなければ・・・などと考えはどんどんマイナス方向へ落ち込んでいく。
そして、彼が帰ってくるなり、思いっきり文句をぶちまけた。当然謝ってくれると期待して・・。ところが、彼から帰ってきた言葉はやっぱり
「別に、だいじょうぶだよ。」
ハー?何がだいじょうぶなの?ゴメンナサイは?と思ったが、なんか気が抜けてしまった。またこの「だいじょうぶ」に説得されてしまったのである。(ちなみにその後ウチではゴミはちゃんと分別してマス。)
というわけで,皆さん。

中国人の「だいじょうぶ」には要注意!

 

 

「だいじょうぶ」に要注意!

祝福に満ちた結婚式を終え、私たち日中夫婦の新婚生活は希望とともに始まった。

新婚生活といえば甘いラブラブなもの・・・と思うかもしれないが、私たちの場合それは大ハズレ!新婚生活はラブラブからは、程遠いものだった。生活開始のその日からよく珍事件が起きたのである。誰でも結婚すれば、違う環境で育った二人なので思いどおりにいかないのは覚悟していた。

でも夫の言動に対しては「どうして?」の連発だった。

とにかくなんて「変わった人」と結婚してしまったのかと思っていた。


珍事件の中でも新婚早々発生したのが「ゴミ捨てだいじょうぶ」事件である。
ご存知の通り日本では随分前からゴミの分別ルールが定着していた。当然私も一つ一つ分けていた。そこへ夫が来て「別にそんなの分けなくてもだいじょうぶだよ。」と言う。私は「ちゃんとやらないとダメだよ。」と抵抗したが、夫は

「そんなに気にしないで。だいじょうぶ。だいじょうぶ。」

と引かない。この「だいじょうぶ。」がクセモノである。聞いていると「そうかなー。」という気になってくる。ヤケに説得力があるのだ。可愛い妻でいたい気持ちもあって「まっいいか。」と分別しないで捨ててしまった


しかし、どこにも親切なおばさんというのは、いるものだ。その日ご近所のおばさんが、わざわざゴミを調べて我が家にやって来た。しかも私の捨てたゴミ袋を片手に持っていた。

「ま。まずい。どーしよう。知らんぷりしちゃおーか。」ところが敵もさるもの。「OOさん。このゴミOOさんのでしょ?ほら。」と言って袋からパッと何かを取り出した。見るとそれは中国語のラベルの缶カラではないか。

あっりゃ~。
「すみませーん。」と平身低頭謝ったが、顔から火が出そうに恥ずかしかった。ああ、あの「だいじょうぶ」を信じなければこんなことにはならなかったのに・・・。いやそれより彼と結婚しなければ・・・などと考えはどんどんマイナス方向へ落ち込んでいく。
そして、彼が帰ってくるなり、思いっきり文句をぶちまけた。当然謝ってくれると期待して・・。ところが、彼から帰ってきた言葉はやっぱり
「別に、だいじょうぶだよ。」
ハー?何がだいじょうぶなの?ゴメンナサイは?と思ったが、なんか気が抜けてしまった。またこの「だいじょうぶ」に説得されてしまったのである。(ちなみにその後ウチではゴミはちゃんと分別してマス。)
というわけで,皆さん。

中国人の「だいじょうぶ」には要注意!

 

 

ピピピっで、スピード結婚

わたしは、よくセミナーで中国と日本の文化について話をする。セミナーの始めはとっても緊張してしまう。わたしもそうだけれど、聞く側はもっと緊張しているように思える。

そこであいさつ早々「二人のなれ初め・・・・聞きたい?」とイタズラっぽく尋ねると、それまで硬くなっていた参加者の表情がぱっと柔らかくなり、期待で、目がキラキラっと輝く。こういう話が好きなのは、全世界共通なのね。きっと。そこで、今日はちょっと照れるけど、どこでも語ったことのないプロポーズのことも書いてしまおう。


 最初の出会いは、忘れもしない学生時代。大学卒業間近な、12月の寒い日だった。舞台はある会社のパーティ会場。わたしはアルバイト生としてそこに参加していた。そのパーティは、ものすごく退屈でわたしは、ひとりポツネンとしていた。そのとき人垣の向うに、やはり、一人でいた中国人の彼とパッと目が合ってしまった。

ジャジャ-ン!

映画ならここで、BGMが入ってくるはずである。これは、本当に正直な話しだが、この瞬間にわたしはピピピっと「出会い」を直感してしまったのだ。なんと彼のほうもピピっときたようで、近づいてきて「何か飲み物でも持ってきましょうか?」と声をかけてくれた。やった!それをきっかけに自然に会話が始まっていった。

何を話したかナー?よく覚えていないけれど、わたしは理屈っぽい方で、社会問題とか、海外事情について議論するのが好きだった。これが日本人の友人の間ではどーも浮いてしまってこういう話しがしづらい。しかし、彼とはそんな堅い話が思いっきりできて、とっても楽しかった。二人とも英会話にも興味があって、「今度いっしょに勉強しましょう。」というのが、デートの始まりとなった。考えてみるとちょっと変わったデートかも・・・


そしてプロポーズ。それは、予想をはるかに越えて早く、突然にやって来た。付き合い始めて1ヶ月ほどして、レストランで食事をしていたときに、
「いっしょにアメリカに行きませんか」
というセリフだった。これには、その頃二人が夢として持っていた「アメリカで仕事をもって暮らす」という思いが込められている。生まれて初めてそして最後の瞬間であった。そして話があれよっと進んで、知り合って3ヶ月のスピード結婚となった。


 結婚式は、普通の市民会館のような場所を借りて、牧師さんを呼びキリスト教式で行った。このとき彼があまりにも形式にこだわらないので非常に驚いたことを覚えている。招待状もお色直しも引き出物もない。でも、おかげで、親しい友人が集まってアットホームな楽しい結婚式になった。(おまけに安かった。)

 

まずは快調なスタートだ!

 

 

 

わたしの夫は中国人

わたしの夫は中国人である。

 

結婚して15年(2000年時点)。わたしの出身国である日本に住んでいる。出会った頃彼は、留学生として、ある大学院に通っていた。わたしは、大学生だった。彼は、日本語ぺらぺらで、ちょっと話すだけでは、日本人と全く変わらないほど完璧なものであった。出会った瞬間「あっ気が合うな。」と感じた。そして、なんと、たった3ヶ月で、ゴールインしてしまったのである。いや、これはゴールではなくスタートである。結婚生活のスタートであり、未知の国、中国を知る旅のスタートだった。

 

 その頃わたしはアメリカに憧れていた。しかし中国にはほとんど興味がなかった。今でこそ本屋に行けば中国関係の本がどっさりおいてあり、TVでもよくドキュメントや特集が組まれている。でも15年前はほとんどなかったと思う。
 それで、その頃多くの日本人が思っていたことをわたしも思っていた。
「中国はアジアの中のお隣の国。箸と漢字の国。遣唐使のころからのお付き合いだし、同じ顔をしているし・・・・とても似ている国だ。」


しかし、それは、と――――――――んでもない勘違いである。

夫と暮らし始めて、日本人と中国人は、全然、まったく、思った以上に「ち・が・う」ということを発見してしまったのだ!始めは違うことだらけで、本当にビックリの連続だった。正直言って、ショックであった。だって、とにかく違いすぎる。でもそれが、段々面白くなってくる。そして今度は、もう中国大好き!すきすき!になってしまったのだ。


例えば結婚したとき、彼は大学院をあっさりと止めて、さっさと就職を決めてしまった。もちろん、結婚するには、必要な事ではあったが、その決断、実行の早さには目を見張るものがあった。確かにこれは普通の日本人にはできないことだったと思う。まず、「違うなー」と思わされた一面である。まだ、何も分っていないわたしは「ステキだなー。」と思ったものである。後になって今度は会社をさっさと辞めてくれた。決断の早さも困ることがある。


だから、まず、「日本と中国は違う」というところから出発しよう。考えてみれば当たり前のことだ。でもお互いどこがどう違うのか分っていない。違いが理解できると良さも見えてくるというものだ。


 今、日中間には、教科書問題とか、犯罪の問題など、どちらかと言うと中国のマイナスのほうばかりが、メディアに載せられている。もったいないなーと思う。

中国の本当のよさを知らずに人生を過ごすなんて、クリープを入れないコーヒーのようだから・・・

 

ちょっと古いかな?(古すぎ!)