日本人と中国人

思い込みがないか,自分の文化を疑ったことはありますか?

初めての交渉

 初めての中国(1990年7月)ー中国到着第一日目にいきなり、2歳の娘の持病である中耳炎が発症した。なれない飛行機や、疲れが重なったためであろう。大変あわてて右往左往したが、なんとか病院を探し出して治療を受けることができた。

 驚いたことに病院は中国人用外国人用のフロアがあって、中国人用はごった返していて、空気も悪かった。しかし外国人用は清潔感あふれ患者らしき人は誰一人いなかった。クーラーも適度に効いていてとても快適だった。が、治療費の方は普通より、目の玉が飛び出るほど高かった。100倍ぐらいはあったと思う。100倍ですよ。


 当時中国では中国人用と外国人用を区別するシステムがあった。ホテル、電車の車両、時には同じレストランの同じメニューなのに外国人だと割高だったりして驚いた。おまけにお札も人民元(一般用)と兌換券(外国為替に変えられるお札)に分かれていたのだ。今ではその制度も無くなったが。
             

私は黙っていれば、中国人と思われるのでいつも安い料金ですますことができた。しかしあるとき、外国人の威力を発揮した面白い経験をした。前回お義姉さんの(お店での)交渉術をみてから、私もできれば交渉というのをしてみたいと思っていたのだが、そのチャンスはすぐにやってきた。あるとき街を歩いていて大きな兌換券を小さな兌換券に両替する必要が出てきた。そういうわけで夫は中国銀行を見つけ、両替を試みた。銀行員は澄ました顔をして答えた。


「没有」(ありません)


ほら来た!まったく、よく聞く言葉である。夫は何度か押し問答をしてみたが相手は「無いものは無い」と受け付けなかった。夫はあきらめ私の耳にささやいた。

「キミが交渉した方が効果があるよ!」

そこで私はこの間のお義姉の教えを生かしてみることにした。ちょっと勇気のいることだったが、一度大きく深呼吸し、窓口の女性に向かい、兌換券をカウンターに差し出し、大きな声で


「太大! タイダー!」(大き過ぎるんです!)


と叫んだ。窓口の女性はすごくびっくりして、すぐに両替をしてくれた。やっぱりあったんだ。中国人の夫が頼んだときは、相手にもしなかったのだが、外国人の私が頼んだときは、きちんと対応しなくてはいけないと思ったらしい。この場合私の発音が悪かったおかげで外国人であることがすぐにわかったことが勝因となった。(。。。)

やったー!


人生がひっくりかえるほど嬉しかった。これだ!これなんだ!自分で交渉して勝ち取ったんだ!

大げさだけど、生まれて始めて自分で人生を開いたんだと思った。今までの私ならとっくにあきらめていたはずだ。本当にこのときから私の人生が何か希望のある方向に向かい始めた様な気がする。


やっぱり大げさかな。