日本人と中国人

思い込みがないか,自分の文化を疑ったことはありますか?

ハッキリ言ってよ!

  2000年頃のある日、友人のゆき子さんがこんなことを言っていた。

ーーーおみやげでお菓子をたくさんもらったので中国人の友人張さんに、おすそわけしようと張さん宅を訪問した。

「張さん。これお菓子のおすそわけよ。食べてね!」

ところが、張さんは

「ウチには甘いものがたーくさんありますから、結構です。」

とお菓子を受けとらなかったそうだ。

ゆき子さんはガーン!とショックを受けたが、ひと言の言葉も返すことなく、差し出したお菓子を気まずく引っ込めたという。ーーー

彼女曰く「私だったら、どんなに要らないものでも、とりあえず喜んで受けとるわ!


 また中国にしばらく行っていた徹子さんは、こんな事を言っていた。

ーーーお気に入りのちょっと高級な麻のスーツを着ていたら、中国人の友人にいきなり

「その服、変だね。しわくちゃだし、あなたに似合ってないんじゃない。」

と言われたそうだ。徹子さんは、相当頭に来たらしく、しばらくそのことが忘れられなかった。ーーー


 フィリピン人のエルヴィさんはこんな事を言っていた。

ーーー彼女のご主人は日本人だが、英語を話すことができた。しかし今は決して話そうとはしないそうだ。そのきっかけとなったのがエルヴィさんのこのひと言だ。


「あなたの発音良くないね。」


ご主人はこの言葉にショックを受け、英語が話せなくなってしまったのだ。エルヴィさんは、随分キツイ事を言ってしまったと、とても後悔していた。ーーー


 しかし私にしてみれば、こんなのキツイうちに入らない。夫をはじめとして多くの中国人がアドバイスしてくれた。


「あなたの中国語の発音、全然ダメね。」


何度こんなことを言われたことだろうか。たしかにそれは事実だが始めはやっぱりショックだった。どれもこれも皆一つの事をあらわしている。

中国人(その他の外国人も)はハッキリとモノを言うということだ。

その点私たち日本人は曖昧な表現を好む。だから、「要りません」とか「似合わない」とか「ヘタ」とか言われるとへこんでしまうのである。


しかしそんなことも時間と共に慣れてくるものだ。慣れてくると今度は面白い現象が起きてくる。

日本人のソフトな表現がなんとも分かりづらく、いろいろ考えて疲れてしまうのだ。

例えば贈り物。先ほどの例でも日本人はいつでも喜んで受けとることが分かる。

「結構なものをありがとうございます。」

しかし、その笑みに一瞬でも陰りがあったような気がしたらもう大変である。

「本当はほしくなかったのでは?」とか「もう家にたくさんあるのでは?」

などと考えてしまう。事実は単に気のせいだったということもあるが、実際迷惑だったということもある・・・

非常に分かりにくい・・・頭がごちゃごちゃしてくる。

だから私は言いたい。こんなことやってるぐらいなら・・・・・

 

ハッキリ言ってよ!

 

 

 

真の異文化理解へ

初めて中国に行ったとき(1990年)、いつもはお義母さんが料理をしてくれた。

しかしある日私の自慢料理を皆にご馳走しようと思い立った。それは、鶏肉のトマトシチュウ。たまねぎや、にんじんなどの野菜もたっぷりで、時間をかけてコトコト煮込んで、鶏肉とトマトの酸味が絶妙なハーモニーの一品である。何とか材料を手にいれ、ほぼいつもの味が作り出せたので、もう得意になって家族や親族の待つテーブルの真中にドンと置いた。


 「どうぞ!」


 その瞬間、お義母さん、お義姉さん、甥っ子達の目つきが、心なしか、ギョッとしたような気がした。

ま、まあ、気のせいでしょ。気を取り直して、お義母さんが作った他のおかずをつまみながら、みんなの様子をみているとだんだん、あることに気付いてきた。ワイワイ言いながら、楽しそうに食事は進んでいくが、みんな私の料理には、箸をつけないのだ。でも一口ぐらいは、味見してくれるでしょう? 
切なる思いで、彼らを見つめるが、何事もないように箸は私の料理を素通りしていく。
 ええ?でも、一人ぐらいは、食べてくれるでしょう・・・・・? ところが、とうとう誰一人箸ひとつつけないまま、食事は終わってしまった。

ガガ―ン!

何なのこれは?あの優しい家族はいったいどこに行ってしまったの?

普通、日本人なら食べたくないものでも一口ぐらいは、箸をつけ、たとえ、まずいときでも、「うん、まあ、いいんじゃない。」とか、社交辞令の一つも言ってくれるものだ。


 しかし幸か不幸か、中国人は率直な表現をする人が多い。思った事をそのままいうし、態度にも表す。彼らの愛情に何の変わりはない。彼らは、私の作った料理が好きではなかった。だから、食べなかった。

ただ、それだけのことである。それだけのことだけど・・・やっぱりすごいショック!


日本人と中国人の間で、理解しあうのが難しいのがこの表現の違いだ。中国人は直接的で明快な表現、日本人はソフトで曖昧な表現を好む。


 このシチュウの一件をセミナーなどで多くの日本人に話してきた。ほとんどの日本人の反応は驚きとショックだ。私の話でショックをうけるくらいなら、実際に体験をしたらその気持ちはいかばかりであろうか。日本人って本当にナイーブだ。

一方多くの中国人にもこの話をしてみた。その反応は、「そんなの当たり前。何を気にいしているの?」といったもので、私がなんでそんなにショックを受けたのかがわからないといった様子だった。


一見、簡単に超えられそうなこの「表現の違い」という壁は思った以上に厚く高いものであることに気付かなくてはいけないと思う。そして「中国人はおっかない。」とか、「日本人は何考えてんだか分らない。」などと批判しあうより,

お互いの表現を理解することが肝心だ。これこそ真の文化理解ではないか。


最近、世間を騒がせている日中問題・・・。

その中にもこの文化の違いが見え隠れしているようでしょうがない。

 

 

初めての交渉

 初めての中国(1990年7月)ー中国到着第一日目にいきなり、2歳の娘の持病である中耳炎が発症した。なれない飛行機や、疲れが重なったためであろう。大変あわてて右往左往したが、なんとか病院を探し出して治療を受けることができた。

 驚いたことに病院は中国人用外国人用のフロアがあって、中国人用はごった返していて、空気も悪かった。しかし外国人用は清潔感あふれ患者らしき人は誰一人いなかった。クーラーも適度に効いていてとても快適だった。が、治療費の方は普通より、目の玉が飛び出るほど高かった。100倍ぐらいはあったと思う。100倍ですよ。


 当時中国では中国人用と外国人用を区別するシステムがあった。ホテル、電車の車両、時には同じレストランの同じメニューなのに外国人だと割高だったりして驚いた。おまけにお札も人民元(一般用)と兌換券(外国為替に変えられるお札)に分かれていたのだ。今ではその制度も無くなったが。
             

私は黙っていれば、中国人と思われるのでいつも安い料金ですますことができた。しかしあるとき、外国人の威力を発揮した面白い経験をした。前回お義姉さんの(お店での)交渉術をみてから、私もできれば交渉というのをしてみたいと思っていたのだが、そのチャンスはすぐにやってきた。あるとき街を歩いていて大きな兌換券を小さな兌換券に両替する必要が出てきた。そういうわけで夫は中国銀行を見つけ、両替を試みた。銀行員は澄ました顔をして答えた。


「没有」(ありません)


ほら来た!まったく、よく聞く言葉である。夫は何度か押し問答をしてみたが相手は「無いものは無い」と受け付けなかった。夫はあきらめ私の耳にささやいた。

「キミが交渉した方が効果があるよ!」

そこで私はこの間のお義姉の教えを生かしてみることにした。ちょっと勇気のいることだったが、一度大きく深呼吸し、窓口の女性に向かい、兌換券をカウンターに差し出し、大きな声で


「太大! タイダー!」(大き過ぎるんです!)


と叫んだ。窓口の女性はすごくびっくりして、すぐに両替をしてくれた。やっぱりあったんだ。中国人の夫が頼んだときは、相手にもしなかったのだが、外国人の私が頼んだときは、きちんと対応しなくてはいけないと思ったらしい。この場合私の発音が悪かったおかげで外国人であることがすぐにわかったことが勝因となった。(。。。)

やったー!


人生がひっくりかえるほど嬉しかった。これだ!これなんだ!自分で交渉して勝ち取ったんだ!

大げさだけど、生まれて始めて自分で人生を開いたんだと思った。今までの私ならとっくにあきらめていたはずだ。本当にこのときから私の人生が何か希望のある方向に向かい始めた様な気がする。


やっぱり大げさかな。

 

 

目からウロコ

 初めて中国に行った頃(1990年)は西安にもスーパーというものがあまり無くて、毎日の食材などは市場で買っていた。生活感があふれる市場が私は大好きだ。

買い物のしかたも日本と違う。何か買う度にディスカウントをするのだ。つまり値切り交渉である。中国の生活の中に「交渉」はなくてはならないものである。


  しかし何といっても中国人の交渉を初めて目の当たりにしたのはお義姉さんとお土産の景徳鎮のつぼを買ったときのことだ。

日本の常識からいって当然箱に入れてくれるものと思い込んでいたら、そんなものは無いと言う。私が箱を欲しがっているのをお義姉さんが知ると箱に入れてくれと頼んでくれた。店員は案の定

「没有(メイヨウ)」 (ありません)

と言ってきた。私は、そこであきらめてしまった。ところが、お義姉さんはむしろそこから、エンジンがかかったようだ。

「箱をよこしなさい」

と、まくし立て始めた。しかし相手の店員もさるもの。「無いものはしょうがないじゃないですか。」という感じで一歩も引かない。私が「お義姉さんもういいです。」と示すと「いいからあなたは黙っていなさい。」とたしなめられ、もう私のことなんかそっちのけで交渉だ。
あのこのつぼを買ったの私なんですけど・・・。それにたかが箱のことぐらいでそんなに熱くならなくても・・・・。だいたい「無い」といってるのに無理に決まっているじゃないですか・・・。いったいいつまで続けるの・・・?
激しいやりとりは、いつまでも続くかと思われたが、突然店員があきらめたように箱を裏から出してきた。


え?箱、あったの?


何かものすごいものを見てしまった・・・という感じだ。生まれて初めて生の交渉に立ち会ったのだ。日本では見たことがない。買い物はいつも表示された価格を支払った。苦情を言う事も言われる事もほとんど無い。何か頼まれれば本当はいやでもOKしてしまうことが多かった。出された食事のごとく、何でも言われたまま受け取って来た。


まさに目からウロコ。人はこうやってやりとり(交渉)することができるんだ・・・・

とものすごい真理に目が開かれたような気分だった。今まで自分がいかに何も主張せず、言われたままに生きてきたか・・・自分の姿をはっきりと見た思いがした。


お義姉さんは戦利品(?)を私に手渡すとニヤリと微笑んだ。得意満面である。お店の人だって結局笑っている。なんだかとっても楽しいし、明るい!


それまで夫の交渉好きや負けず嫌いの態度がどうしても理解できなかったし、変だと思っていた。しかし中国では交渉するのが普通である。この事件をきっかけに、中国人を理解するようになっていった。


ようするに夫はただの中国人だったということか!

 

 

没有(メイヨウ)

 初めての中国(1990年)は私にとって正にワンダーランド、異文化そのものだった。

何もかもが日本と違って目に入るものすべてが新鮮に映った。空港から降りて中国の街に踏み入ったときはなんともいえない感動があった。

まず、人々の様子が日本と全然違う。何というか、ものすごくエネルギッシュである。行き交う無数の自転車や街を歩く人にも活力を感じるし、話している人もけんかをしているのか?と思うほどパワフルだ。街全体から「赤く燃える火」を感じさせる国である。
 さて、外国に来たら何といっても、お楽しみは買い物である。私は普段中国の人が食べているものとか、使っている日用品に興味津々であった。夫と共にデパートに入ってみた。デパートの様子も日本とはだいぶ違う。照明が少なく中が若干暗いのが印象的であった。
 そこで、中国の刷きやすいカンフー靴を買おうと靴売り場のウインドウを覗いていた。適当なのがあったので、手にとって見るため、夫に頼んで「見せてください」と言ってもらった。ところが・・・そのときその売リ場の女性からきた答えは


 「没有(メイヨウ)」


メイヨウ?どういう意味?夫は「ないって言ってるよ。」
 「はあ?ないって言ったって、ここにあるじゃない。おまけに今の言い方は何?こっちを向きもしないで」夫は、複雑な表情をしている。今度は少し、強い調子で、見せてくださいと頼んだ。するとそのカンフー靴を投げるようにしてよこしてきた。


頭にきた!態度悪すぎ!


 こんなショックなことが、買い物をする度に起った。いったいどうなってんの?私が何かいけないことしているのかな?キツネにつつまれたような気分であった。

何日もたってから理由を知った。初めて中国に行った1990年頃はデパートやお店もみな国有企業ばかりである。国有企業の体質はどこの国も同様で、いくら働いたってお給料はよくならないので、仕事は熱心ではない。(読者の中に公務員の方がいたらごめんなさい)それが、中国では徹底されていたのだ。それで、お店では、買う客には、応対するが、見るだけの冷やかし客には応対しないということなのだ。
 うーん、なるほど・・。と感心している場合ではない。日本では考えられないことだが、どこに行っても同じことを言われるので、おかげで私が、中国に来て初めて覚えた言葉は、
「没有(メイヨウ)」つまり、「ありません。」という言葉だった。


最近は中国も経済開放政策で、随分と変わった。4年ほど前(1998年)中国に行ったとき、デパートのおね-さんに、「どれかご覧になりますか?」とニッコリされたときは、あまりの変貌振りに息を呑むほど感心したものだ。

 今となってみると笑い話でもあり、貴重な体験だったと思うが、忘れようにも決して忘れられない、

中国第1章を飾る出来事であった。

 

 

初めて中国へ

  そろそろ、はじめて中国に行ったとき(1990年)のことを書こうと思う。


 あれは13年前の7月の暑いときだった(執筆は2002年)。結婚して2年、2歳とまだ乳飲み子のわずか4ヶ月の娘二人をつれた私たち一家四人は、夏の1ヶ月を西安の実家で過ごすこととなった。


 初めての中国・・・普通なら孫の顔を見せながらの外国旅行でうきうき気分なのかもしれない。が、そのときの私の気持ちを一言で表すならこの言葉以外の何ものでもない。
「不安」
 結婚している人なら、私のこのときの気持ちをわかってくれるだろう。なにしろ夫の実家に初めて行くのだ。

実は不安になるもう1つの理由があった。それは、私たちは中国の両親にはあまり相談せず、ほとんど自分達で結婚を決めてしまったということだ。そんなわけで、私は、いわゆる「どこかの馬の骨」であり、お姑さんたちに何を言われてもしょうがない立場にあった。私は中国語ができないこともあって結婚以来電話で話した事もなかった。


 飛行機に乗りながら、いろんなことをあれこれと考えた。「ちゃんと相談してから結婚すればよかったな・・・」「もし恐いお姑さんだったらどうしよう。」「小姑も3人もいるらしい・・・」「中国語もやっておけばよかった。」いろんな考えがぐるぐる頭のなかを駆け巡る。とにかく自分の足りなさを思いっきり後悔した。しかし今となってはあとの祭りである。もう不安を越えて恐怖。戦々恐々として西安の空港に降り立った。ああ絶体絶命・・・・・。

飛行機は私の気持ちなどまったく無視して無常にも、西安空港に着陸した。空港は広々としていた。タラップを降りると遥か向こうに一つの集団が待っていた。こちらに向かって、手を振っている。どうやら夫の家族親族がこぞって出迎えにきてくれたようだ。もしかして、いい感じ?ちょっとした期待が沸いてくる。いやいや、いざ会ったら冷たくされるかもしれない・・・・。再び、戦闘態勢に入り眉間にシワを寄せながら恐る恐る近づいていった。


 「ニーハオ」


とまどいながら唯一知っている言葉であいさつした。すると私の不安とは裏腹に私の心配は全くのとり越し苦労であった事が分かった。

皆、笑顔で迎えてくれた。

私の不安と緊張が一気に消えていった。お義父さんを始めみんな私にやたらと話しかけてくる。
「○○○○」「××××」「△△」
もちろんオール中国語。なにを言ってるのか全く分からない。でもはっきりと肌で感じとることができた。

「良くきたね。待っていたよ。」そして「あなたは私たち家族の一員だよ。」と。


 不思議だ。初めてなのになんだかなつかしい。緊張が消え、嬉しさと安心につつまれたとたん、ドっと涙があふれてきた。来てよかった。日本ではちょっと味わえない、家族の温かさだ。

初めての中国。

最初の一歩は、涙、涙の出会いだった。

あっぱれ我が娘

 以前(2000年頃)、我が家の娘(小学3年生)がとんでもない事をしでかしたことがある。

そのころ私たちは夫の会社の社宅に住んでいて、毎朝社宅の子供が集まって学校に行くことになっていた。集団登校といって日本独特のものだ。集合場所にはよく係りのお母さんや、ボランティアの母さんが様子を見に来てくれるのだが、そういう中に必ずいるものだ。親切だけどちょっとおせっかいなオバサンが。


「そこ!ちゃんと並びなさい!ほら!ふざけるんじゃない!」


などと常にガミガミとまくし立てている。もう度が過ぎて子供達はびくびくとその人に怯えてしまっていた。しかしある日のこと、よほど気にさわったのだろう、ガミガミ言っているそのオバサンに向かって我が家の娘がいきなり、


「うるさい!」


と怒鳴りつけたのである。娘は反抗的な子ではない。いつもはおとなしくみんなについていくし、大人の言うこともきく。しかしこのとき3年生の小さな子が、そのオバサンに立ち向かったのである。私にはこの娘のようなことはできない。明らかに中国人の夫に似たのだ。


 中国人は負けず嫌いで、非常にプライドが高い。私はこれを皇帝精神と呼んでいる。彼らはまさに、皆が皇帝のように見える。それが生活のいろいろなところに現れている。例えば夫は怖いもの知らずのところがある。相手が偉かろうが、強かろうが、立ち向かっていくのだ。いやむしろ強いものこそ向かっていく。日本人なら相手が強いとわかればあえて立ち向かわないのだが。


 かつて一家4人でドライブしているとき暴走族に出くわしたことがある。旗や鉄の棒をまわしブゥンブゥンとエンジンをうならせ何やらわめいている。私は一瞬にして凍りついた。他の車はさっと速度を落として、そのグループから離れていった。しかし夫は「こういうときは絶対に引かない。」とか言って、いつもと同じように運転していく。それで暴走族に囲まれたまましばらく進むハメになってしまった。まあこれが、恋愛中なら「ああ、ステキ・・・・」ということになるのであろうが、こっちは、もう子供もいるのである。やめてほしい。ただの向こう見ずだ。

 
また会社でふつう日本人は、先輩後輩文化もあって上司のいうことに不満があっても決してそれを口にすることはない。ところが中国人は上司に対しても提案したり意見を主張したりする。中国ではごく普通のことのようだ。


そんな父親譲りの娘の気質が今回の事件をひきおこしたのであろう。それにしてもそのオバサンは死ぬ程ビックリしたに違いない。その後早速クレームの電話がかかってきた。適当に謝りはしたが、心の中では、「よくやった!」と叫んだ。事実その噂を聞いて別の主婦からも「よく言ってくれたわ。」なんてお礼まで言われたのである。彼女も前々からこの人には辟易していたらしい。

親ばかといわれようが私は言いたい。


あっぱれ我が娘よ!