日本人と中国人

思い込みがないか,自分の文化を疑ったことはありますか?

初めて中国へ

  そろそろ、はじめて中国に行ったとき(1990年)のことを書こうと思う。


 あれは13年前の7月の暑いときだった(執筆は2002年)。結婚して2年、2歳とまだ乳飲み子のわずか4ヶ月の娘二人をつれた私たち一家四人は、夏の1ヶ月を西安の実家で過ごすこととなった。


 初めての中国・・・普通なら孫の顔を見せながらの外国旅行でうきうき気分なのかもしれない。が、そのときの私の気持ちを一言で表すならこの言葉以外の何ものでもない。
「不安」
 結婚している人なら、私のこのときの気持ちをわかってくれるだろう。なにしろ夫の実家に初めて行くのだ。

実は不安になるもう1つの理由があった。それは、私たちは中国の両親にはあまり相談せず、ほとんど自分達で結婚を決めてしまったということだ。そんなわけで、私は、いわゆる「どこかの馬の骨」であり、お姑さんたちに何を言われてもしょうがない立場にあった。私は中国語ができないこともあって結婚以来電話で話した事もなかった。


 飛行機に乗りながら、いろんなことをあれこれと考えた。「ちゃんと相談してから結婚すればよかったな・・・」「もし恐いお姑さんだったらどうしよう。」「小姑も3人もいるらしい・・・」「中国語もやっておけばよかった。」いろんな考えがぐるぐる頭のなかを駆け巡る。とにかく自分の足りなさを思いっきり後悔した。しかし今となってはあとの祭りである。もう不安を越えて恐怖。戦々恐々として西安の空港に降り立った。ああ絶体絶命・・・・・。

飛行機は私の気持ちなどまったく無視して無常にも、西安空港に着陸した。空港は広々としていた。タラップを降りると遥か向こうに一つの集団が待っていた。こちらに向かって、手を振っている。どうやら夫の家族親族がこぞって出迎えにきてくれたようだ。もしかして、いい感じ?ちょっとした期待が沸いてくる。いやいや、いざ会ったら冷たくされるかもしれない・・・・。再び、戦闘態勢に入り眉間にシワを寄せながら恐る恐る近づいていった。


 「ニーハオ」


とまどいながら唯一知っている言葉であいさつした。すると私の不安とは裏腹に私の心配は全くのとり越し苦労であった事が分かった。

皆、笑顔で迎えてくれた。

私の不安と緊張が一気に消えていった。お義父さんを始めみんな私にやたらと話しかけてくる。
「○○○○」「××××」「△△」
もちろんオール中国語。なにを言ってるのか全く分からない。でもはっきりと肌で感じとることができた。

「良くきたね。待っていたよ。」そして「あなたは私たち家族の一員だよ。」と。


 不思議だ。初めてなのになんだかなつかしい。緊張が消え、嬉しさと安心につつまれたとたん、ドっと涙があふれてきた。来てよかった。日本ではちょっと味わえない、家族の温かさだ。

初めての中国。

最初の一歩は、涙、涙の出会いだった。